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日越友好のため
私は日越友好の大使(自称 笑)として今回、日越国交樹立45周年を記念してこの記事を書きました。
ベトナムとは
ベトナムとは東南アジアのインドシナ半島東部にある国です。
ベトナムの正式名称
ベトナムの正式名称は
「ベトナム社会主義共和国:Socialist Republic of Viet Nam」になります。
ベトナム語では
「Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam:コン・ホア・サ・ホイ・チュ・ギア・ヴィエットナム」であり、
漢字では「越南:エツナン」と表記されます。
ベトナムの国土
ベトナムの国土の面積は、およそ32万9241平方キロメートルです。
南北に細長い国土であり、日本と少し似ている感じです。
ベトナムの東側は東シナ海に面し、海を隔ててフィリピンがあります。
ベトナムの西の国境はラオス、南西はカンボジア、北は中国と国境を接しています。
ベトナム国土
ベトナムの人口
ベトナムの人口はおよそ9250万人であり、そのおよそ25%以上が若者で2040年には日本の人口を追い抜く計算になるそうです。
ベトナムの首都
ベトナムの首都はハノイです。
ハノイは国土の北側に位置しています。
ハノイの地図
ベトナムの通貨
ベトナムの通貨は「DONG:ドン」という通貨になります。
この写真はベトナム社会主義共和国の創設者、ホーチミン氏の絵が印刷された1万ドン札です。
現在1万ドンは日本円にしておよそ、50円の価値になります。
ベトナム1万ドン
ベトナムの国旗
赤地に黄色い星のマークの国旗であり、社会主義や共産主義の意味合いがあります。
それは共産主義が始まったソビエト連邦(現在のロシア)や
中国(中華人民共和国)からの影響を、現政権(旧:北ベトナム政権)が多大に受けたためです。
共産主義国家という恐いイメージはありますが、赤地に黄色い星のマークはシンプルで、爽快なイメージだと思います☆
ベトナム国旗
ベトナムの歴史
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中国からの影響
ベトナムの歴史は複雑です。
まず、ベトナムは中国とのつながりが深いです。
ベトナムは中国の幾多の王朝から侵略され占領されていた時期が長かったそうです。
最初は紀元前221年の中国の秦王朝からの侵略後、紀元前111年から中国の漢王朝から約1000年に渡り支配を受けてしまいました。
紀元前からにかけて約1000年後、正確には938年に中国が唐王朝になっていた時に独立します。
中国支配の影響はベトナムの古い建物や、儒教などの宗教、旧正月などのの文化的なものに色濃く浸透していきました。
フランスからの影響
中国の支配から独立後、1884年にベトナムはフランスのインドシナ半島侵攻の中、植民地にされてしまいました。
それはフランス領インドシナ連邦という名目で、カンボジアと共に植民地として組み込まれたのでした。
フランスからの影響は分かりやすいものだと、ベトナムの都市にあるカトリックの教会などの洋風の建物や、
食べ物ではベトナムコーヒーやフランスパンやそれを使った料理であるバイン・ミーやワインなどです。
ホー・チ・ミンの出現
近代ベトナムの独立の中心を担った人物はベトナム中部ゲアン省というところの出身で「革命の父」とされる、
ホー・チ・ミン氏(Hồ Chí Minh / 胡志明1890年5月19日-1969年9月2日)であり、
1930年に香港でホーチミンがベトナム共産党を設立させたことが始まりでした。
1940年に日本軍がベトナムへ進駐し、ベトナムは日本とフランスから二重に統治されることになりましたが、
それは僅かな期間でありますが、結果的に日本軍がフランスのインドシナ政府の力を弱めることになり、
ホーチミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟会)はゲリラ活動で抵抗しつつ、
日本の太平洋戦争での敗戦による武装解除とベトナムからの撤退に伴い、
1945年にホーチミンは「ベトナム民主共和国」の独立宣言を成し遂げました。
その後、1946年から1954年にかけてのフランスからの独立戦争である、
「第一次インドシナ戦争」に勝利し、ベトナムは独立しました。
ホー・チ・ミン氏の肖像
ベトナム南北戦争
ベトナムでの第一次インドシナ戦争時に、
ベトナムはホーチミン氏を中心に建国されたベトナム民主共和国(北ベトナム政府)と
フランスにより建国された傀儡政権である、南ベトナム共和国(南ベトナム政府)に分かれてしまい、
第一次インドシナ戦争後もベトナムは北と南に分断され続け、
ついにベトナムは1960年にべトナム南北戦争へ突入してしまいました。
このベトナム南北戦争は複雑であり、南は資本主義国であるアメリカの支援を受け、
北は共産主義国であるソ連や中国などの支援を受けたことによる、
アメリカとソ連の冷戦ための代理戦争の様相もていしていたことも複雑になった原因でした。
そして、このベトナム南北戦争はアメリカの北ベトナム打倒のための直接の軍事介入もあったことによりさらに激化。
ベトナムだけでもおよそ300万人もの犠牲者を出しました。
しかし、北ベトナムの猛攻とアメリカ軍の戦争撤退により北ベトナム政府が勝利し、
1976年に「ベトナム社会主義共和国」として建国宣言がなされたことにより、ベトナム南北は統一されました。
ベトナムはスパイス・ハーブの国
ベトナムの料理ではお馴染みパクチーをはじめ、
レモングラス、バジル、ミント、シソ、タデ、ディル などのスパイス・ハーブが使用されています。
特に野菜が多いベトナムのフォーやブンなどの麺料理には欠かせない、調味の元になります。
まとめ
ベトナムは日本のように細長い国土でありますが日本とは違い、
常に周囲の国々との争いに巻き込まれ、複雑な歴史をもっています。
そして、古代日本との貿易があったことや、
第二次世界大戦時に旧日本軍がベトナムに進駐したことがきっかけで独立したこと、
その時の日本兵の残党の人々の行いが良かったこともあり、
世界でも有数な「親日の国」の一つとして知られているのです。
私はベトナムが好きなのですが、まだまだ日本ではベトナムについてあまり知られていないと感じます、とても親日な国なのに!!
みなさんも、ベトナムの人と接する機会があったら、
スィンチャオ!(ベトナムの挨拶)と言って、ぜひ交流してみてください☆
祝、日越国交樹立45周年の企画として次回も続編記事にて、もっと深くベトナムのことについて掘り下げていきたいと思います☆
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