寄らば大樹の陰
コトワザの「寄らば大樹の陰」は
「大木の下の木陰なら身を寄せることが出来きて安心安全であること」を
例えに「頼るなら権威や権力のある人間や集団が良い、確実なものに関わったり信用したりしていれば安心安全である」というような意味合いになります。
安心安全なことに頼るのは決して悪いこと、間違ったことではないので私は否定はしません。
しかし、私達自営業者や個人事業主、起業家、
ビジネスを続けて行く上で「リスクは取るな!安心安全に浸ることが重要だ」といったメッセージとして足かせになってしまうのではないかと思
独立思考の学生に「目指せ大企業内定!大企業に就職して親を喜ばせなさい!」だとか
「サラリーマンとして安定して生きていけ」と言ったことを押し付ける
いかにも、「
「右向け右と言われてみん
良く言えば安定を重んじる、
悪く言えば大人し過ぎて保守的で均一的な考え方が強い日本の伝統の中から生み出された感が強いコトワザですよね。
このコトワザを考え出した人は本心から幸せな意味合いのものとして生み出してはいないような感じがします。
大樹の下にいるということは…
全ての物事は安全であったり確実だとは限らないし、その安定性も永く続いていくとは限りませんよね。
あの家電の大樹であった鋭かった某電機メーカーが買収され、大樹みたいじゃなくなってウド
買収されたことによって会社の存続の危機は免れたのでしょうが、
日本が世界に誇るものつくり力の高い数々の良品を生み出してきた独自性がある、
あのメーカーの本質が根本的に変化してしまうのかどうかは分かりません。
そして大樹の陰の下にいるということは日が当たらないということにもなりますよね?
それはつまり自分自身の活躍の場を制限されることを意味し、知名度なども上がりづらく木陰の下の苔のような一生を送ることにもなるのかもしれません。
それに大樹の木陰には蚊もよってきます。
その蚊たちはあなたの、私達の血を吸ったり(富を奪ったり、名声を汚す)
集中力を散漫にしたり(仕事などのやる気、モチベーションを下げたり)します。
それは不安定な要素も集まってくるということを意味しているのではないでしょうか。
つまり社畜としての道を歩んでしまうことになるのではと思います。
コトワザを逆説的に受け取ってみる
私はこのことわざ自体を否定しているわけではありませんし、
世の中には大樹の陰の下(良い会社や組織、指導者に恵まれ)華々しく活躍されている人々もいるでしょう。
しかし、このコトワザは私自身の仕事、ビジネスに対するやる気、
今後このコトワザを目にした
「寄らば枯れ木の小陰も無し、寄らば大樹の木陰で朽ちて行く」
と置き換えて考え直し、
独立されている方や独立する予定の方々もそう受けとって考えてい
ことわざを鵜呑みにせず、逆の意味やパロディとして考えて行くことも面白いし新しい視点で物事を考えていく切っ掛けにもなるでしょう。
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そして大樹の木陰は自分でつくって行くべきではないでしょうか、
種(
植えた苗木が清々しく生い茂り、映えわたる日々(物事で成功したり安定して生きて行ける日々)が来るまで一歩一歩、頑張って行きたいものですね☆
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